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性別適合手術をするだけで人生ハッピーだと思っていた僕の話

トランスジェンダー
あきよし
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僕(@b1a4akiyoshiftm)は、生まれた時は女の子でした。

でも、『ブラは嫌』『女の子らしくも嫌』『振り袖も嫌』

どうしても嫌でした。

結論としては、性別適合手術を受けて、今これを書いています。

手術さえ受ければその先はハッピーだと思っていたけれど、全然そんなことはなかったのです。

何が「僕」の人生を変えたのか、お話したいと思います。

プロフィール

まず簡単にプロフィールを書いておきますね。

1989年12月4日女子として誕生
19歳で胸オペ、内摘出
20歳で戸籍変更
21歳で立ちションができる手術をする
今は、戸籍上も私生活も男性として生きています。

サラッと書きましたが、ここまでくるまでに色々な壁がありました。

なんで自分だけと思うことも多かったのは事実です。

生きている意味がないと思ったことさえあります。

辛くて辛くて辛くて、自ら命を絶ってやろうかな、そう思ったこともあります。

過去を振り返ると少し涙が出て来るときもあります。

でも、今は毎日楽しく生きています。

同じような境遇の人たちのサポート活動などもしていて少し自分の経験が役に立っているかなと思っていたりもします。

そして、当事者以外の人たちでも受け入れてくれる友達がいて、あぁ生きていて良かった。

今はそう思っています。

今が辛い人、頑張りたい人、性同一性障害の人に会ったことがない人、そんな人に読んで欲しいです。

どうしても男子と一緒じゃないと嫌だ

初めての違和感

僕は東京の多摩地区で生まれ育ちました。

東京にしては、自然がいっぱいあり、のどかな土地です。

春になると桜がすごく綺麗です!!

4−5歳くらいの時、近所の男子達と遊んでいる時にひょんなことから、おしっこ飛ばしになりました。

自分の小が飛ばないことに違和感を覚えたのを今でも鮮明に覚えています。

なんで?自分だけ飛ばないの??そんな感じでした。

その時は、違和感だとも思わず、単純な疑問でした。

幼稚園

両親の離婚で引っ越した時に幼稚園の生活班がセーラームーンチー厶に振り分けられそうになりました。

ドンキーコングチームがいいと言い出し、先生を困らすということが起きます。

先生の困った顔、今でも覚えています。

先生、ごめんなさい!ww

あなたがそんなにいうならと言うことでドンキーコングチームの一員となります。



徐々に増してくる性別への違和感

小学生

低学年の頃は、男子とドッジボールに明け暮れます。

運動神経は悪くないので活躍できました。

高学年になって来ると、休憩時間のサッカー、ドッジボールが男女で分かれ始め、『お前は、女子だからサッカーに入れてあげなーい』と言われショックを受けます。

そこからは、女子のグループの一員として存在していたが、『モー娘。』全盛期の世の中、ついていけず。。。でした。

そして、仲良く遊んでいた男子にこれでもかと告白されまくると言う現象が起き始めます。

(今思えば、モテ期。だが、男子から女子と思われてたことに絶句。)

初潮が小5で始まり胸が成長し始め、どんどん女体化する体に戸惑いまくりました。

お母さんにブラジャーを勧められるが、絶対にブラジャーだけは付けたくなかったのです。

俺は、女子じゃない!!!!

胸はいらない!!!!

そんな気持ちが大きくなっていきます。

そんな気持ちが大きくなって来る一方で、性同一性障害、そんな言葉なんか知らなかったので自分は変なやつなんだという思いが募っていきます。

女子大生、振袖、結婚、子供、主婦。

将来を想像すると絶句しました。

あきよし
あきよし
こんな感じでウエディングドレス着るのヤダ!!ムリムリムリムリ!!!!!!

未来が想像できなすぎて、毎日毎日寝る前に布団の中で泣いていました。

どうしたら、胸の成長を止められるかを考えまくります。

胸を一日中締め付ければ大きくならないかもと思い、スポブラを自分で切って縫って、締め付ける道具を自作し始めます。

小学6年生の時に金八先生の第六シリーズ(上戸彩さんの)で性同一性障害を知り、自分と同じような人がいること、変ではないこと、手術があることを知ります。
と、同時に存在していていいんだと言うことドラマから教えてもらいます。

金八先生の
『あなたが大人になる時には、戸籍の性別が変えられる優しい国になるから。』
と言う言葉にリアルに救われます。

(当時の日本は戸籍上の性別変更が法律で認められていなかったのです。)

金八先生が僕のバイブルになり、毎日、毎日、ビデオが擦り切れるまで見ていました。

(実際何本か擦り切れました。)

人生を変えてくれた出逢い

中学生

スカートが嫌すぎたが、金八先生のあれだ、性同一性障害だ!とイジメられたくなかったので泣く泣くスカートを履いて登校していました。

上戸彩さん演じる役のマネをしてスケバン並みのスカートの長さ、中にはズボンというスタイルで登校していました。

(見た目は、スケバンだが、素行は真面目で体育祭実行委員会とかをやっていました。)

ある日、金八先生のビデオを見ていたら、とあることに気づくのです。

上戸彩さんが演じる役の進学先のモデルになった高校と高校の先生の名前が撮影協力として載っていたのです。

え!!!東京じゃん!!!

一時停止を押してメモをし、その場で電話をします。

その時の緊張感、今でも覚えています。

『金八先生を見て、〇〇高校の〇〇先生の名前を見て、電話しました』

と高校へ電話をし、その先生へつないでもらい、僕の地元で会ってもらえることになりました。

5日後、会って色々と話を聞いてもらいます。

上戸彩さん演じる役のモデルになった人の講演会に招待してもらえました。

次の週、講演会で虎井まさ衛さん(上戸彩さんが演じる役のモデルの方)に出逢い、手術の詳細を知りました。

スッゲェ!!!!!!!

これで、20歳の振袖着なくて済む!!!

早くホルモン注射と手術をして男の体になる!!!

それがその時の率直な感想でした。

高校受験の際に、中学の先生が女子の制服でもズボンがある所を探してくれました。

しかも、一期生で先輩が居なく、募集の半分を自己PRと言う名の自己推薦で取るという、勉強をしたくない僕にとってもってこいの高校でした。

なので、その高校を受験することにしました。

僕、看護師になります

高校

高校はズボンがあった高校に入学出来ましたが、女子用のスラックスと男子用のズボンでは形が違うことにげんなりします。

お小遣いを貯めて、男子用の制服をゲットしました。

4人ほどの先生にカミングアウトし、名簿も男子にしてもらえるように動きましたが、未成年の為に何をやるにも親の了承が必要と言うことに気づきます。

親の理解がなかったので、男子高校生として学校に行くということは諦め、ホルモン治療と手術の情報集めをします。

18歳になったら男性ホルモン注射を始める!

そう決めて、親の説得を頑張り始めました。

そんな矢先、卵巣嚢腫という病気で入院することになってしまいました。

体に違和感があるのに、よりによって婦人科に入院ということで不機嫌MAX!!だったのですが、可愛い看護師さんが担当で一瞬で機嫌が治るのでしたww

執刀医の先生にもカミングアウトをしていたので

『筋トレをしまくれば、胸ってなくなる?』

と聞くと、

『乳腺があるから無理だね。専門の手術をしないと平らにはならないね。』

と言われ、撃沈します。

そこから、僕の手術をするための人生設計が始まります。

可愛い看護師さんが色々とお世話をしてくれたおかげで看護師という仕事に興味を持ち始めます。

僕は、総合学科と言う8割の授業を大学みたいにカスタマイズできる高校に通っていました。

とりあえず、大学に行くでは無く、自分の将来をどうしたいか、そのための選択をするということを入学式当日から言われていました。

進路実現のための授業もあったので将来をどのように生きるかと言うことを高校生の時から考えていました。

とりあえず、資格さえあれば、女も男も関係ないし、北海道から沖縄までどこでも仕事があるという理由で、看護師を目指すことにしました。

僕の立てた計画はこうです。

とりあえず、大学へ行き、親を油断させて手術するというものです。

学歴を重きに置く親だったので、こうするしかないかなと思ったからです。

大学は、推薦で合格したので、その後の学校のテストは7割くらい解いてから、問題用紙にどうやってお金を貯めるか、いつホルモン注射を始めて、と四六時中考えていました。



あなたは私から見ると女の子にしか見えないよ

大学生

看護師になるという目標より、手術をするという目標が先!という看護学生でした。

そんなのはうまくいくはずもなく、レポート、飲み会、勉強、教習、バイトそんな毎日でした。

女子として大学へは行っていましたが、周りのみんなには男子に見えたみたいで男子の一員として生活をしていました。

男子としての生活は楽しかったのですが、そんな楽しい生活はうまくはいかなかったのです。

聴診器の授業が始まるということで、学部長へカミングアウトをしに行きます。

何度か話し合ったのですが、学部長の口から衝撃的な言葉が発せられるのです。

『あなたはさ、俺、俺、って言っているけど、私から見たら女の子だから。』

うわっ、、、まじか。。。。

なりたい職業の先輩にあたる人にそんな言葉を目の前で言われた僕は、看護師になる!という目標を見失います。

お前が、そういうなら誰から見ても男ってなってやるよ、戸籍も男になってやるよ。

若かったので、そんな勢いでした。

そこから、大学は寝る場所へと変わりました。

ケーキ屋さん→深夜ドーナツ屋さん→シャワー浴びに帰る→大学(寝る)

そんな生活へ一変しました。

そんな生活をしているともちろん授業にもついていけなくなりますし、レポートも友達のすべてコピーという悲惨なことになります。

授業の小テストもすべて空欄で、学期末のテストも分からず、寝るという状況でした。

そんな生活が3ヶ月くらい続くと、学部長から呼び出されます。

『君、留年だよ、授業も寝てるよね、ほかの先生も言ってるよ。

『休学するなら、学費半額ね、辞めるって選択肢もあるね。』

と冷たく言われて、考えました。

友達にも、親にも続けろと言われました。

休学するなら、親戚に頼み込んでお母さんお金出すからと、ひとり親で金ないのにそう言ってくるので余計悩みました。

でも、この体でいるのは限界でした。

超絶安定志向だった僕は、考えまくりました。

我慢をして、学歴をとった方が、将来のことを考えると安定すると思ったのです。

結果、手術を選びました。

『この体からは1分、1秒でも早くおさらばしたい。学歴なんかいらない。後で、専門に行こう。』

金八先生で表現してあった『女の着ぐるみを着ている』そのような気分でした。

高校の友達と手術に行く約束をしていたので後の3ヶ月必死に働きました。

2つのバイトを駆使して、30連勤ほどしました。

若かったですし、働けば働くほど、手術に近づける!!という思いがあったのであまり辛くありませんでした。

そんな思いで、100万円貯めてタイに手術に行き、胸を平らにし、内性器を取ったのです。

今の日本の法律だと、20歳以上で子供がいなく、2名以上の精神科医の診断があり、内性器をとっていれば戸籍上の性別を変更することが出来ます。

なので、手術から帰って来て、誕生日を迎えたら戸籍上の性別を女性から男性へと変えたのです。

写真はバイト先のバーベキュー大会です。

戸籍を変えてからうぇーいという感じの遅れてきた大学生デビューが始まりました。

たまたま、バイト先に恵まれ従業員200名という大所帯で友達がたくさん居ました。

完全に浮かれていました笑



僕、俳優になります

目標喪失

手術が終わり、目標が達成できてしまい自分の人生がよく分からなくなりました。

性別に対する違和感が強くなった中学生の時から手術をすることが人生の目標になってしまっていたからです。

そんな時に、昔諦めた夢を思い出しました。

僕の小学生の時の夢は、『TV戦士になりたい』でした。

そう、有名な天才てれびくんに出たいということでした。

性別問題で諦めた夢でもあります。

俳優になってやる!!!!そう決めました。

自分の容姿を気にするようになり、表参道の美容室へいくようになります。

山田涼介くんになりたかった時の写真です。

舞台『ジャンヌダルク』

ある時、堀北真希さん主演のジャンヌダルクという舞台の後ろの兵士100人に抜擢される機会がありました。

稽古1ヶ月、公演期間1ヶ月と2ヶ月という長い間、一流の俳優さんたちと同じ空間に居れたのです。

これはチャンス!!

そう思った矢先、次はトイレ問題にぶつかります。

立ちションができない状態だと不便ということに気づくのです。

そこからまた手術を受け、今に至ります。

なかなか、難しい手術でお金もかかるのですが、修正手術などもしながら手術は成功します。

修正手術の時に、前乗りして、遊んでから手術をしました笑

完全にタイにどハマリしました!

4月の水掛祭りの時に、タイのカオサン通りにて。

手術だけでハッピーになれるとおもっていた

何がハッピーではなかったか

今は、生活する上では何も不自由は感じません。

不自由なことは手術をすることで解決してきたからです。

手術に関しては、全く後悔はないですが『何』が手術をするだけではハッピーではなかったのか。

それは手術は『通過点』ということです。

そして、心と体を可能な限り一致させても性別にこだわることは、消えませんでした。

体で言うと、身長、骨格、くびれ、安産体型とかですね。

これは変えられないですし、今でもコンプレックスです。

恋愛も難しい部分もあります。

パートナーの親、親戚にはカミングアウトしたほうがいいのか、見た目は男性に見えるからカミングアウトしなくてもいいのではないか、それは自分の大切な人に一生隠し事をさせるようなことではないのか、など色々と個人やパートナーの考え方などで違ってきますが、問題は山積みです。

人間関係でも、僕は、親密になり相手から相談とか持ちかけられると自分のことは話していないのが罪悪感に感じます。

そして人間は欲望がある生き物なので1つの物事が解決すると、もっともっとという欲が出てきます。

完璧な男性にはなれるはずもないのに、自分の中で一般男性と比べてしまいます。

今でもグチグチ考えて、好きな人ができても、好きと伝えられない自分がいます。

ちょっとの開き直り

ちょっと最近は少し開き直ってます。

20歳まで色々我慢してきたから、すこしワガママに生きてやろう、そんな風に思っています。

留学に行きたい→留学にいく

フリーランスで働きたい→フリーランスで生きれるようにしよう

海外で働きたい→海外ではたらいてみる

したいなとおもうことがあったらやってみる。

とりあえず、行動をガンガンしていってます。

行動を起こすと、かけがえのない仲間に出会えたりします。

1月に留学した時の仲間の写真です。

この時、自分のことをカミングアウトするか、しないかを自分の自己紹介の1秒前まで迷っていました。

その時の気持ちのツイートです

普段あまりカミングアウトをしないで生きているので、緊張しましたが、色々な人とフラットに話ができた気がします。

この留学で色々な生き方を知り、すごく前向きになれています。

この間も、skypeミーティングをし、1週間後に日本で飲みます!

そんなことをしていたら、アラサーに差し掛かり、諦めかけていた俳優も絶対やってやる!ってなってきています。

絶望を光に

きっと僕は僕らしさを認められたり自分の過去があるから今がある、そういう風に思えないと一生、人と比べながら絶望しながら生きていくんだと思います。

その絶望がいつか光になれるように

そうしていきたいと思っています。

舞台に出た時の、赤坂サカス劇場の舞台から見た観客席の情景が今でも蘇ってくるのです。

舞台を観ている人からしたらどうせ自分なんか見えてないでしょと思うと思いますが、舞台からは意外にもかなり見えるんです。

寝ている人、笑っている人、泣いている人、色々な人の表情が見えるんです。

トリプルカーテンコールスタンディングオベーション、その舞台から見えた景色は今でも忘れません。

その絶望から滲み出る演技が評価されるように、頑張っていこう、今はそう思っています。

これから

自分に向き合い続けた29年、これからも向き合い続けると思います。

それがいい結果となって当事者のサポートや俳優として何かを伝えるときに役にたてばいいなと思います。

日本のLGBTを取り巻く環境はあまり良くはありません。

先日も、議員さんの『生産性がない』という発言が話題になっていましたよね。

理解より先に知ってもらうこと、認知が大切だと思います。

知ってもいないから、拒否が生まれると思うんです。

知らないものは、よくわからないものは理解なんか出来ないと思うんですよね。

その知るきっかけになればいいな、より多くの人に知ってもらいたい、そんな気持ちから長々と書かせてもらいました。

これからもLGBT関連の話や感じたこと、フリーランスや海外旅行の話など色々書いていきます。

そして、自信がないFTMの人の役にたつブログにしていきたいと思っています。

ここまで読んで頂いてありがとうございました!!

ブログも頑張って更新していくのでまた見に来て頂けたらと思います。

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